08:00, December 31 2025
年末だし、めんどくさい話でもしますか。これは二部構成の記事の第一部です。
STORES Tech Conf 2025のキーノート “I Do” は衝撃的だった。進歩するAI技術によってプログラマの立場が脅かされているという話はよく聞くが、プログラマとしての実存の危機について企業カンファレンスで正直に率直に感想を述べたことが衝撃的だった。これから社会人になる学生の前で「我々はAIによってみんな死ぬんですよ」と言うのは過激なようにも見えるが、実存の危機から目をそらさずそのような現実があることを伝えたことには敬意を表したい。
その上でなお、「AIでプログラマは終わり!w」という話について、もう少し考えてみたい。本当に我々は死ぬのか?念の為テキストを確認したい。1
という表現で、会社などの組織の意思決定について組織が主語となって意識を持ってなにかをしているかのように話すのは正確ではなく、実際はその中の人が意思決定をしており、意思決定をしている人が何を考えているかについて考えよう、という教えがある。これは「AIがプログラマを殺す」についても言えて、現在のAIはターミネーターの世界のように意識を持っているわけではないので、実はプログラマを直接殺すことはない。「AIは殺さないですよ、AIを使ってプログラマを殺すのは、人ですよ」。
このように書くと人間の悪意を仮定しているので陰謀論なのではないか?と思われる向きがありそうである。私はこれについて、「陰謀は存在せず、ただ悪いインセンティブ設計があるのみ」という立場を持っており、歪んだインセンティブに最適化をするとまるで陰謀に突き動かされたかのように見える、と考えている。なので、ここでは「必ずこういう陰謀がある」と主張しているのではなく、どのようなインセンティブがある、どのような感情があるのか、ということを明らかにしていきたい。
経営者というものは、自分自身の利得の最適化か、株価を通して株主の利得の最適化に命を注いでいる以上、プログラマに限らずあらゆるものに対して金を払いたくないという性質を持つ。AIを売る人は、意思決定のできる経営者に売るためのナラティブとして、また株主に対するナラティブとして、人を減らして業務を最適化できますよ、というナラティブを売りたい。そのナラティブも業務の簡単な部分を置き換えているうちは両手を挙げて歓迎されついにはもっと複雑な部分もできると思い込んで人を切り始めたが、実は置き換えられなかったけどクビにしてしまった、ということが少しずつ観測され始めている。
彼らは経営者ほど意思決定権があるわけではないが、それゆえに彼らからすれば「AIによるDX」みたいなのはお題目でしかなく目標さえ達成できれば実際どうでもいい。一方でプログラマがデカい顔しているのが気に食わない、というのは定期的にXでITのマネージャーを名乗る人から出てきては火の手が上がっている。そういう彼らからすれば、AIでプログラマはデカい顔ができない、というナラティブは願ってもないものだろう。これはローコード・ノーコードが定期的にもてはやされる構図と近い。一方でローコード・ノーコードと同様、ちゃんとITに通じているマネージャーならいざ知らず、bossingを主として行いITに関する審美眼が欠けている人間が、AIを手にしたとてまともな製品が作れるだろうか?AI・ローコード・ノーコードを真にエンパワーメントとして見ているならばエンパワーメントによってできた最終製品でものを語ればいいだけの話で、別にプログラマに対して敵対的なナラティブを語る必要はない。
…どちらにせよ、「AIによってプログラマは死ぬ」というのは多くの場合、プログラマや手を動かす人のナラティブではない、と考える。手を動かす人にとって敵対的なナラティブは意思決定層のインセンティブに沿うのでそれを説く人が出てくるし、立場のある人がそれを説くのでみんな真に受けてしまう。
ちなみに2025年にAIについて言及したIPAのディスカッションペーパー『DX動向2025』でもDX人材は不足しているとされ、同様に経産省の2025年の『サイバーセキュリティ人材の育成促進に向けた検討会最終取りまとめ』でもセキュリティ人材は不足しているとされている。
一方で手を動かす人のナラティブとしてAIがプログラマを殺すという場合、AI以後は適切に能力を持った人のみがプログラマで居続けることができる、という意味で言われることがある。これは高いレベルで手を動かしている人からも言われているので必ずしも「AIでプログラマは終わり!w」は手を動かす人のナラティブでないと言い切ることはできない。またこうなったときに私が生き残れるかはさておき、技術がある人が適切に評価されるということなので、これはこれで私は歓迎するところではある。だが、プログラマがAIを使って殺す側の主語であるかというと必ずしもそうではなく、生存のハードルが上がった結果生き残れない人が出る、というのが実際起こることではないか?
LLMはまだ身体的な機能を代替するに至っていないのでロボティクスが追いつくまでは身体的な機能に基づく仕事は「殺されない」かもしれない。なので、エンジニアは筋トレをして肉体労働職に転職できるように備えるべき、が最も確実なAI時代の生存戦略かもしれない。
経営者やmanagerial classの上位層は自らの仕事と地位をAIに明け渡すことはしないだろう。彼らには自分たちのinner circleを守るインセンティブがあるし、彼らはAIを使って殺す意思決定を下す側である。政治家も同様に自らがルールを決め意思決定できる側なので、仮にAIビッグブラザーのほうが「有能」であったとして権力の座をAIに明け渡すことはしないだろう。
AIによってマインスイーパーの楽しい部分は全部AIがやってしまい、運ゲーの二択のみを人間が強いられる2、という指摘があるように、責任を取る仕事は人類に残ると言われている。しかしエンジニアリングも言ってしまえば責任を取る仕事であるがAIによって殺されると言われている。これはどういうことだろうか?知的な積み重ねの上に最終的に責任を取る仕事の代表格といえば医者と法律家だが、この領域がAIで殺されるという話はあまり聞かない。医者は手術という身体的な仕事があるというのもあるが、これらの仕事は法律によって守られているので、AIの効率化の恩恵を受けることはあっても完全に代替されることはしばらくないだろう。法律によって地位が保証されていないエンジニアはもっと上位の意思で代替できるのとは対照的である。
「AIがプログラマを殺す」として、「それでもAIが労働を代替してくれるんだったら人類は労働から解放されるじゃないか!(AIによる)死は救い!」というふうに考えるかもしれない。しかしそんなユートピアは当然訪れない。
仮に人類が人類にとって無限とみなせるエネルギーと資源を手にして物質的豊かさの問題が解決したとして、人類は果たして平等にその豊かさを享受できるだろうか?
No. Because that’s Communism.
同様の理屈で、AIがプログラマという職業を殺したとして、それで労働から解放されるかというと、資本主義3の下ではそれはありえない。リスクを取ってAIを導入した資本家は報われるのは当たり前で、AIによって殺されたプログラマは能力が足りないか悪い選択をしただけなので野垂れ死ねばいい、というのが資本主義社会の見解だろう。プログラマに限らず、仮に人類がメンテフリーなロボットで肉体労働を代替できるようになったとして、「生活のための労働」という概念から全人類が等しく解放されるかというと、社会規範の力によってそれが妨げられるであろう。
まずメンテフリーなロボットというものがあまりに理想化されすぎている。『21XX年 墾田永年私財法』ではAIが発展した世界で人類にケア労働とメンテナンスという労働が残された世界が描かれている。人間は自己メンテナンスが行われる安価なアクチュエーターかつ識別器なのだ。そして現実でもAIの訓練の過程では発展途上国の人が有害なコンテンツを人力で識別させられている。
20世紀的な家電は我々を過酷な家事労働から解放したではないか、と思われるかもしれない。実際家電製品のように家庭に入り込むロボットは実現しつつあり、代表的なものとしてはNEO The Home Robot(リンクはGIGAZINEの日本語紹介記事)がある。月々 $499 か $20000 の買い切り3年保証の購入のオプションがあるという。しかしTwitterでの反応を見るとこのロボットがユーザーあるいはその生活を人質にとってサブスク料金を召し上げようとしているミーム画像が多数投稿されているように、サブスクリプションサービスの形で提供されていることに対して不信感を持たれている。株主がサービスを犠牲にしてでも利益を出せという圧をかけて実際にサービスが悪化したら、粗大ゴミを買わされてしまったようなものである。このようなロボットは買い切りの形ではなくソフトウェアアップデートがオンラインサービスで提供される以上、ロボットが20世紀的な家電や車の形で我々を労働から解放するとは考えにくく、21世紀的なenshittifiable4なサブスクリプションサービスの形で我々にやってきて、デジタル封建制・デジタル農奴制が物理世界にも進出するだろう。そしてロボットを買うことができない人間は今まで通りの、あるいはもっと過酷な労働が維持されることになる。結果として、「労働という形の隷属」は維持されるか強化されることになるのではないか?AIの力を持ってしてもオメラスの地下に閉じ込められた子どもを解放することはできないどころか、AIはより多くの人を地下に閉じ込めながら、地上のひと握りの人々は表面上の繁栄を謳歌し続けるだろう5。
プログラマをはじめとするホワイトカラー職のAIによる死というナラティブはAIが進歩し続けることを前提としておいているが、今のまま単調に成長し続けるAIを我々の大部分が使い続けられるということはかなりutopic6な仮定である、とも思う。
AIは電気や水道ではなく資本主義社会の最先端の商品であり、ということはAIは必然的に7enshittifyする。世の中の生成AIは今は投資家からのお金を燃やし続けてコスト度外視でいいサービスを提供しているフェーズである。しかしこのフェーズは永久に続くことはなく、どこかでバブルが弾け、enshittificationのサイクルに入っていくことになるだろう。
AIは国際的パワーゲームの最先端の武器でもあるのでいくら自由主義陣営のAIマーケットを支配できたからといってアメリカ企業はAIの開発をやめて劣化させるわけにはいかない、そうしたら他国のAIに抜かれてしまう、という考えもあるだろう。とはいえ投資家のお金も無限でない以上、どこかで今のような成長は終わりを迎え、成長が止まるか大幅に鈍化することにはなるだろう。そうなったときには国家的アクターの金が流れ込んでAI開発が行われることになり、それで利するのは権威主義陣営だろうと思われる。権威主義陣営がAIの覇権を握ったときに訪れる死は職業の観念的な死ではなく、迫害や戦争による、もっと物理的な死だ。もちろん、商業的AIが鈍化したシナリオではアメリカも国策でAI企業にお金を突っ込むことはするだろうが、そうなったときに「真に世界を変えるAI」は今のように我々に対して開かれるものではなく、closed techとなるだろう。
AIの進歩が止まりうる要因には他の要素もある。LLMを動かすデータセンターはめちゃくちゃな量のエネルギーを必要とする。今のエネルギーの主体は化石燃料ベースであるので(なんならトランプ政権はクリーンエネルギーへの投資を止めて化石燃料ベースのエネルギー開発を推し進めている)気候変動による物理的死が先にやってくるかもしれない。あるいは戦争によってエネルギーサプライチェーンが崩壊することでLLMを稼働させるエネルギーが不足してAIの成長が鈍化するかもしれない。
いずれにせよ、AI技術がこのままリニアに進歩し続けるというのはあまりにもutopicだし、我々が進歩したAIにアクセスし続けられるという仮定もさらに輪をかけてutopicである。むしろAIの成長がリニアであったとして我々がその進歩したAIにアクセスできなくなる可能性のほうが現実的かもしれない。
なんかそれも来ないんじゃないかと思う。資源効率が悪過ぎて経済合理性の微妙なプロジェクトにAIが使えなくなる可能性は割とあるんじゃないかと思っている。今はバブル投資時期だから一般人でも使えてるだけなのでは?という。 https://t.co/rsXMIwccwa
— joker1007 (アルフォートおじさん) (@joker1007) December 5, 2025
数年後にはAIの使用料が突然べらぼうに値上げされて通貨が弱かったり経済成長できてない国の企業は全く使えない状態になると予想してる https://t.co/zNipjdLFc3
— まさらっき (@masarakki) December 5, 2025
そうなったとき、我々は弱いAI8しか与えられず、すでにAIでvibe codingしたコードを人質に取られる世界がやってくる。AIに書いてもらったあなたの生身に手の負えないコードをメンテナンスしたいですか?そんじゃつよつよAIに課金してください、課金できないならあなたのサービスは丸ごと技術的負債ですね?
ここにはもともともう一つ章があったが、削ることにした。削った内容のsha256は 342b07bcfeb0c462c154494e8de2deb653faba7138b006c4b8e790d151d1aaa3 である。
仮にAIが我々を殺すとして、それが「5年後までに80%」と言われるか、50年後と言われるかで話は変わってくる。そのうち物理的死は平等に訪れるので、観念的死がそれより先ならば問題としなくてもよいのではないか?そして実際AIの成長が単調に続き、進歩した最新のAIにアクセスが可能であり続けるというのもutopicである以上、数年で死なせて「くれる」という考えもutopicであるといってよいだろう。
So, life goes on.
私はここまでに挙げてきたことを背景として、「AIでプログラマは終わり!w」ということについて、短期的には懐疑的であるし、AIを取り巻く環境のほうが悪化することによってプログラマという職業の重要性はある程度保たれるのでは、と考えている。AIによって我々の仕事の性質が多少変わったとしてもIT技術・コンピュータ技術の重要性はしばらくのところ保たれるだろうし、そうなったときにコンピュータのことを学んできた地力の重要性が失われるものではない。殺せるものなら殺してみろ、というくらいのつもりで仕事をしていく所存である。一方で、AIに頼り切って技術を放棄するならばそのときは然るべき報いを受けるだろうとも思う。
そのうえで、私個人はプログラミングで「善をなす」余地はかなり残っているのでは、と考えている。今のAIは本質的に新自由主義的な無制限の自由放任主義的資本主義(neoliberalistic, unfettered libertarian capitalism)の産物であり、それ自身に「善」をなすインセンティブというのは存在していない。AIは我々をクソの濁流に呑み込み死をもたらしていくかもしれないが、人間の側はそれに抗う「善」の余地はあるのではないか?
STORES Tech Confとの関連でいうと、STORESというプロダクトは中小オーナーのエンパワーメントを通してかなり「善」をなしている側のプロダクトだと思っている。特に印象的だった話としてはSmart Codeなどの電子決済の審査の仲介の話があり、制度が複雑なことによるしょうもない摩擦をシステムで解消しており、こういうお題目でない「真のDX」を積み重ねていくことは「善」をなしているといえるだろう。そしてこういう「真のDX」、しょうもない摩擦をなくして手触りを改善する営みは「無名の質」に支えられており、「無名」である以上Large Language Modelには扱えず、AIに殺せない世界なのでは?…という話を、第二部「無名の質、花、そして語り得ぬもの」にて記述しようと思っている。大方書き上がっているが、最終的な詰めに時間が欲しいため2026年1月中のリリースを予定している。
このブログでもWebのenshittificationについて何度も書いてきているが、enshittificationという語の命名者であるCory Doctorowの2025年の本”Enshittification: Why Everything Suddenly Got Worse and What To Do About It“は大規模テック企業のプラットフォームがエンドユーザーや企業から極限まで利益を搾り取っている現状とその仕組みについて数多くの事例を紹介している。本記事でAI企業について悲観的な見方をしているのも、資本主義に最適化し尽くした企業がこの本にて紹介されているような邪悪な振る舞いをするようになった事例を数多く見てきているからである。反トラスト法が骨抜きにされ規制がほぼ機能していないアメリカではテックの力を借りてあらゆる分野で搾取が進んでおり、無制限の自由放任主義的資本主義に期待を抱きすぎることはあまりにもナイーブであるということがわかるだろう。
Magic: the Gatheringのプロツアー・フィラデルフィア11の記事に由来する表現で、当時のモダンフォーマットにおいて《猛火の群れ》と「感染」持ちクリーチャーを用いた最速2ターンキルが存在しており、それについて「本当に俺は2ターンキルされてしまうのか?テキスト内容を念のため確認したい」という問い合わせがジャッジに寄せられたそうだが、この表現が後にミームと化した ↩
そういえばmameさんもSTORESの人だ ↩
デジタルサービスは魅力的なサービスによって市場の支配に成功すると投資家からの投資の回収フェーズに入り、ビジネス顧客のためにエンドユーザーへのサービス品質を下げ、ついでビジネス顧客へのサービス品質を下げ、低いサービス品質で利益を挙げ続ける、ということが指摘されており、その現象を指してenshittificationという。 ↩
アーシュラ・K・ル=グウィン『オメラスから歩み去る人々(The Ones Who Walk Away from Omelas)』への言及 ↩
ユートピア的な、空想主義的な ↩
enshittificationは別に資本主義社会の帰結というわけではないが、競争や規制が不十分で対抗勢力が十分にいない場合は必然的にenshittifyするインセンティブがありenshittifyする、と”Enshittification: Why Everything Suddenly Got Worse and What To Do About It”では主張されている。現在の潮流が続く限りAI企業が規制されることは考えにくいので必然の流れに乗っているといってよいだろう ↩
テクニカルタームとしての「弱いAI」の意味ではない ↩