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The Reboot of History and the First Men (on Mars)

15:00, January 1 2025

これは何

新年早々物騒な記事ですが、この記事は2024年11月6日にアメリカ大統領選挙の結果を受けて書き殴った文章の下書きを清書したものです。2024年に読んだ本(の一部)の感想も兼ねています。


背景

2024年のアメリカ大統領選挙はトランプ氏の勝利に終わった。しかもだいぶ大差で。

ここまでに至る背景として私の政治的ポジションについて言及しておくと、基本的に私は英語圏メディアはblue stateのleft-leaningなメディアを主に見聞きしており、北米政治関連の主な情報源はNew York Times Podcastsで、英語のポッドキャストでは一番右に寄ったところでLex Fridman Podcastくらい1、といったところ。「カリフォルニアで外国人として育って左翼にならないハズがない」と思っており、なので北米事情については「東京モン」ならぬ「カリフォルニア野郎」である、といってよい。あとカリフォルニアに魂の一部を置いてきたとも思っているので、巡り合わせがあえば本場カリフォルニアでテックの仕事をしたい、という思いはあり、その点で(社会正義とかの側面をまるごと無視しても)移民政策に強硬的な2トランプ氏を支持する理由がない。

青いアメリカの敗北は「東京モン」の敗北

この結果に対するpublic sentimentの大部分は2016年のアメリカ大統領選挙にも言及されているところてん氏の「「普通の人」について」という記事で既に書き尽くされており、2024年において言われていることにはほとんど新しいことはなく、あえてhot takesを書くつもりもない。この記事でいう「エスタブリッシュメント」とは「東京モン」、カリフォルニア野郎、ニューヨーク野郎と読み替えられると思っている。カリフォルニア野郎やニューヨーク野郎に対する嫌悪は日本でもみられ、端的にはゲームにおける「ポリコレ表現規制」への嫌悪の形で観測されているように思う。

極論すれば日本でもアメリカでもsocial justice movementは「都市の文化」でしかないと見られている、ということだろう。本来これらに含まれる人権の問題が「文化」かと言われると全くそうではないのだけど、日本でも「人権」という言葉が(ゲームなどで)本来の意味を離れて使われるか活動家の匂いのする言葉として認識されているように、「普通の人」の関心ごとではない領域のものとして扱われている。もっというならば、都市と地方、業種間の経済格差が拡大し、日常生活が苦しくなっていて足元の経済という生存権が脅かされている中で、都市の人間が人権を叫んだところで大多数の庶民は「お貴族様は文化が享受できてうらやましいどすなあ」としか言えないだろう。事実として日本でも”working class”が多いところでは保守が強く「文化左翼」は見向きもされていない。私の今住んでいる愛媛県も昨年の衆議院議員選挙で政治資金問題の逆風があってギリギリ1つの選挙区が青にflipする程度には保守の地盤が強い。

一方で、議事堂襲撃を煽動した人間が「そもそも選外でない」っていうことはあるのか?

私はトランプ氏を「安倍晋三 on steroids」、いやステロイドどころかもっとヤバいものをキメているやつ、として見ている節がある。共通点としてどちらも法律のストレステストをする、rule of lawの例外になろうとする点においてunfreedom路線、politics of eternity路線3の政治家であると思っているが、安倍氏はそれをフルスロットルでしなかっただけで日本は多少のunfreedom程度で済んだのではないか、と思っている。

とはいえ、いくら安倍氏が諸々のことで法律ギリギリの線を攻めていたとはいえ、トランプ氏が煽動した議事堂襲撃のような暴力革命に訴えることはしていない。なんなら日本共産党が支持されていない主な根拠として暴力革命路線の維持が挙げられるし、それを知っていてか「日本共産党は現在でも暴力革命路線を維持している」と閣議決定されている。このような環境下で、law and orderを標榜していてlaw and orderに自ら喧嘩を売る行為をしている人間が日本で受け入れられるだろうか?その点だけをもっても、選挙結果を否定するために議事堂襲撃を煽動した4人間が民主主義国家の長として選外とならない、ということに衝撃を受けてしまった。

実は日本ではたまたま議事堂襲撃が起きていない、そのような土壌が整っていないだけ、という可能性も否定できない。仮に日本でも二大政党がギリギリで競り合っていたとして、ギリギリのところで右派が負けたら街宣右翼を煽動してデモの延長で議事堂襲撃が起きるかもしれないし、ギリギリのところで左派が負けたら同様に活動家を煽動してデモの延長で議事堂襲撃が起きるかもしれない。日本でも権力に近い市井の暴力組織は存在しているし、歴史的事実として右翼とヤクザのつながりはよく知られており、戦後の治安維持にヤクザが関わったこともよく知られているので、銃があるから暴力組織が議事堂を襲撃できて、日本にはそれがない、ということもないだろう。

そもそもステロイドどころではないキメ方をしている人間が伝統的な二大政党、特に保守的な政党にどうやって取り入ることができたのか?日本ではこのようなハックをされずに済んでいるとすれば、政党内の年功序列や長幼の序といった儒教的価値観が保守の価値観に織り込まれているので、突然外部からやってきた極端に対してハックされることは少ないでいるのかもしれない。日本で芸能界から政界の中心に近いところに登ったdisruputorの例でいうと橋下徹氏や山本太郎氏が代表的だが、どちらも自分で政党を作る形で実現しているので大政党をハックする形とは違うだろう。近いものがあるとすると「日本最大の人気投票」5であるところの東京都知事選から政界に影響力を及ぼしている小池百合子氏だろうか?ともあれ、日本でいうならばら安倍氏が突然ひろゆきとかホリエモンを連れて選挙戦やりだしたら日本の保守層は引くと思うのだが、アメリカではこのようなことが起きてしまった。

「そもそも(安倍/トランプ)が民主主義を破壊しているというのは根拠のない左翼の妄想でしかなくて」

このへんについて私自身が確実に撃破できる理論を持っていないが…

  • トランプ氏が陰謀論に片足どころか膝くらいまで突っ込んでいたのは事実で
    • ハイチ系移民が猫を食べてるっていうの、アレは何だったの?
  • どちらも法律ハックをしている
    • 司法を自分の都合のいい人で固めるってのはどっちもやってるし
    • 安倍氏(とその後の自民党)は立法ではなく閣議決定によってcontroversialな政策を通していたし
    • トランプ氏は明確に司法ハックによって犯罪の訴追を逃れている
  • どちらも法律ハックについての自らに都合の悪い証拠が政府内にあるハズだが、日本はずさんな公文書管理によって、アメリカはadministrative stateの解体とdisinformationによってそれが表に出ることを妨害している
  • あとどちらも専門家や学術界に敵対的

私がこの現象の何が気に入っていないか

なんで日本に住んでいてほとんど関係ない人間がこんな文章書いてるの?ということについて、この選挙の余波が気に入っておらずそれが日本にも影響が見られるから、という理由がある。気に入っていないのは主に2点に集約されて、まずは「正義のためなら嘘をついてもいい、その嘘によって他人を踏みつけてよい」というメッセージ性、もう1点として周りの人間による事後の正当化が気に入らない。

私はリーダーに求める、いや人間に求める性質として、 “don’t be an asshole” という性質を求めている。先に述べた移民がペットを食べているという陰謀論をはじめとする明らかな嘘により他人を踏みつけにする行為はこの原則に大きく反するものであると考える。そのうえでこれを事後に正当化する人間が多くいるせいで、「正義のためなら嘘をついてもいい、その嘘によって他人を踏みつけてよい」という誤った理解をされてしまうことがとても気に入っていない6。周囲の人間は「これこそがマキャヴェリズムでありまっとうな大人の政治である」とか「これこそがリアリズムである」7というように評しているが、言ってしまえばフィクションにおいて残酷であればあるほどリアリティがあるとみなされる、いわゆる「ご都合悪い主義」みたいなご都合主義だろう。日本の政治についても「嘘つきは国民を裏切る」「組織を裏切る人間は国民を裏切る」というふうに与党政治家以外8に対しては言うけれど、初手で嘘ついてる権力者については何も言っていないどころか称賛しているところがキツいし、このような矛盾が結局「まっとうな大人の政治」として正当化している内容がご都合主義であるということの証左になってしまっている。

負けた民主党側にstrategy/tactics面で不備があった、という部分については理解するが、だからといって権力のために陰謀論に頼って嘘をついていいというのが正当化されるわけではないのですよ。

歴史のリブート、(火星の)最初の男

この記事のタイトルはFrancis Fukuyamaの”The End of History and the Last Man”を下敷きにしている。特に第二次大戦以降顕著になったLiberal Democracyの浸透によって戦争や抑圧に代表される「歴史」は終焉を迎えた、というのが非常に大雑把な主張である9。それ以前からも、ロシアと(大陸)中国の台頭、政治腐敗、民主主義(democracy)と資本主義(capitalism)の理想の分離分断という現象から実は歴史は終わっていないのでは、という批判はあったが、特に2022年のロシアによるウクライナ侵攻以降、この「歴史」が再び始まったのではないか、ということが言われるようになった。unfreedom路線、Autocracy, Inc.路線10のリーダーであるトランプ氏がアメリカ大統領に返り咲くことは、「歴史」のリブートを体現する現象といってもよいのではないか?

こうして歴史はリブートされ、火星に人を送り込むと言っている人間は大統領の近くで大きな力を手にした。自由民主主義によって野心11を持つ男どもは最後の一人まで追い詰められたが、歴史は再度動き出し、マッチョイズムにドライブされたstrongman politicsが再び歴史の表舞台に舞い戻り、火星に最初の男12が立つ日がやってくる。

まとめ: ネットの喧嘩をやめて、身の回りの人を大切にしよう

???:「だからどうしたの?海の向こう側のことじゃん?」

私がこの記事を公開することで不利になる部分が多少はあることは承知している。余計なことを言わないほうが大人という向きがあるのもわかる。それでもあえて書いておきたかったのはそういう向きが嫌いだからでもあるが、いくつか事後の評論や感想を見ている中で、振る舞いを見直す上で得るものがあったから、というのがある。

DeviantOllam氏の選挙後の感想動画にて、今後立場の弱い人やマイノリティにとって厳しい情勢になるのは明らか、なので身の回りの人を大切にしよう、思うところがあるなら身の回りで行動を起こしている人を支援しよう、例えば地元のradicalなbookstoreの情報を調べて話を聞いてみるというだけでも考えや行動は変わりうる、ということが言われていて感銘を受けた。選挙後の評論ではmainstream mediaやエスタブリッシュメントはout of touch(地に足がついていない、と訳すのがよさそう?)である、とさかんに言われたことと、「身の回りの人を大切にしよう」という主張を合わせるに、都会の人間、カリフォルニア野郎やニューヨーク野郎13が身の回りの人間を大切にしていないと思われていて、そのために人権を守ることが「たかが都市の文化」と見られてしまった、というところはあるのではないか?

SNSで強い言葉で吠えるだけじゃなく、実際に手を動かして身の回りの人に寄り添っていかなくてはいけない。ネットの喧嘩をするのではなく、村の盆踊りに顔を出していかないと支持されないのが政治の世界であるのは選挙が終わるたびに言われている。このことがより試される時代になった、なってしまった。

やっていきましょう(便利な結語)。


補: 「woke左翼ざまぁ!」って言ってる人に対して

トランプが一部の人のいうような「冷徹なビジネスマン」ならば、いわゆるwokenessが非関税障壁として機能すると理解したら、外(主に東アジア)に対してはポリコレ外圧は続けると思うよ、なんならProject 2025はキリスト教右派のかなり原理主義的な主張が出ており、ポルノの禁止なども主張しているので、「俺たちのズリネタへのwokeの圧が終わる」という期待から「woke左翼ざまぁ!」って言ってる人らは完全に期待はずれになると思うよ、結果として “anti-woke for me but not for thee” になると思うよ。覚悟しよう。

事実として、第1期トランプ政権はTPPの脱退を表明したとはいえ、TPPの置き土産として日本は著作権の保護が死後70年になる条項を飲まされたままで、本来パブリックドメイン入りしていたはずであるストラヴィンスキー作品(1971年没)やショスタコーヴィチ作品(1975年没)は未だパブリックドメイン入りしていない。


  1. 本人はcentristを自称しているが、トランプ氏がインタビューで出演したことで左派メディアからは「トランプに肩入れしているのでは?」というふうにコメントされていた。わかりやすい右派みたいなことは言わないけど同様にわかりやすい左派みたいなことを言わないという意味では中道、という理解をしている 

  2. 事実としてlegal immigrants(私の関心ごととして強いH-1Bビザも含む)も第1期でかなり数が絞られたし、「お仲間」のイーロン・マスク氏ともH-1Bビザを拡大するか縮小するかを巡って対立していることからもわかるようにトランプ氏本人は縮小路線 

  3. Timothy Snyderの”The Road to Unfreedom”に出てくる語で、我々は敵対する勢力との間の永遠の闘争の中にある、という考え方で、この考えのもとでは「我々は常に歴史の正しい側にある」ので歴史はどうでもよくなる、と主張されている。該当の本の中ではロシアが自民族の正当性を主張する原理として説明に用いている 

  4. といっても右派メディアを見聞きしていると議事堂襲撃の煽動は事実ではなく根拠のない妄想ということになるらしいが… 

  5. 龍が如く7における表現だが、厳密にこの表現であったか自信がない 

  6. 有害な行動を正当化するという意味で有害である、といってもよいかもしれないが、「気に入らない」を「有害である」と言い換える向きについて気に入らないというのもあるのでこの表現を選ぶこととする 

  7. なおこれは国際政治学における「リアリズム」の意味の語ではないが、余談として、私は国際政治学の用語としての「リアリズム」という語の選択も非常に問題があると思っている。これは「リアリズム」が現実を名乗ることによって対立する言説はリアルに基づいていない妄想である、という印象を与えうるためである 

  8. 最近はこれが石破総理にも向きがちであるように思う 

  9. 自由民主主義が歴史の必然的な終着点であるという結論はヘーゲル主義の系譜をくんでいるが、Timothy Snyderの”The Road to Unfreedom”ではこれを自由民主主義を歴史の必然と見做してしまうことは歴史をどうでもよくすることにつながり非自由主義につけ込まれる余地を産んでしまう(”politics of inevitability”)、と批判している 

  10. Anne Applebaum “Autocracy Inc.” で主張されている、権威主義的指導者はイデオロギーを共有しているのではなく自らの利益や利得を最大化することを共通目的として動いており、その支持者・支援者はいわゆる民主主義国家といわれる国の中にも存在している、という仕組みで動いている指導者を指す 

  11. “The End of History and the Last Man”において、偉大な行いと戦争の原動力の背景にthymos(雑訳すると「野心」)がある、としていたことに関連する 

  12. この文において”man”の訳語としてgender-neutralな語ではなく「男」を使っているのは意図的である 

  13. ひいては東京モンもそうやぞ